2020年 3月7日
ホストファミリーの方々や受入委員会の皆さんにお参りいただき、
今年も追悼法要をおつとめしました。
大震災から、まる9年。
今年は10年目という節目を迎えます。
新型コロナという激震が世界中を駆け巡っていますが
どんなことが起ころうとも、
これまでの軌跡を全身に感じて、
明日の未来を全身に感じて、
今日という日を全身に感じて、生きていきたいなと思います。
ホストファミリーの方々や受入委員会の皆さんにお参りいただき、
今年も追悼法要をおつとめしました。
大震災から、まる9年。
今年は10年目という節目を迎えます。
新型コロナという激震が世界中を駆け巡っていますが
どんなことが起ころうとも、
これまでの軌跡を全身に感じて、
明日の未来を全身に感じて、
今日という日を全身に感じて、生きていきたいなと思います。
蓮如上人の御文(おふみ)に、「無始よりこのかたの無明業障(むみょうごうしょう)のおそろしきやまい」というお言葉があります。
私たちはおそろしい病をかかえて、この人間に生まれてきたのです。私たちは、何か少し身体の調子が悪いとすぐお医者さんに見てもらいます。
しかし、この「おそろしきやまい」に気づくことはありません。
これは、仏法を聞いて初めて気づかせていただくことでありますが、仏法を聞いても一生気づかずして「おそろしきやまい」をかかえたまま死んでいくのです。
「おそろしきやまい」とは無明業障ということでありますが、無明とは智慧がないということです。
智慧がないとどうなるかというと、この我身に愛着して己が己と我をたてていくのです。これがすべて煩悩の元となり、深い迷いの業を造っていくのです。私たちは如来さまの深いお育てのなかで、お念仏申して、この我が破れる時が来るのです。
「自己の誕生」とは、我執によって生きる私でなく、無明業障という深い闇をかかえたまま、助けねばやまぬという如来の本願をいのちとして生きる新しい私が誕生するのです。
(老僧)
今年は暖冬でしたね~
雪の楽しみも、大変さも、例年ほど味わうことなく過ぎていきそうですね。
さて、今年も、各社の福井県のさくら開花予想をまとめてみました。
ウェザーマップ ・・・3月18日
日本気象協会・お天気ナビデータ ・・・3月25日
ウェザーニュース ・・・3月28日(足羽山公園・足羽川桜並木)
どこも、例年より早いだろうと予想されています。
ちなみに、昨年(2019年)の西雲寺しだれ桜の開花は、3月28日でした。
ここ数年の中では一番早い開花でしたが、今年はそれを更新しそうですね!
余談ですが、この記事を書くために、初めて全国の開花予想を見ました。
沖縄ではもう開花していて、満開の地域もあるんです!
気象庁のデータによると、那覇では平年よりも早い開花でしたが、
石垣島や宮古島では、開花が2,3週間遅れたようです。
遅れた理由は、開花に必要な「寒さ」が足りなかったから!!!
さくら事情も、所変われば、なんですね~
本日(26日)、つぼみの様子はこんな感じです。
もう春に向けて準備が始まってたんですね~
この冬は、ほとんどこんな景色でした(^ ^;)
「大無量寿経」には弥陀の本願が説かれていますが、それは法蔵菩薩の物語として説かれています。
久遠の昔(いにしえ)、一人の国王がおられ、世自在王仏の説法を聞いて深い悦びを感じ、出家して法蔵と名告りました。
そして、世自在王仏のみもとで、迷いの衆生を一人残らず救い取りたいという大いなる願いをたてられます。
そして、生死流転していく迷いの衆生の有り方をどこどこまでも見届け、一人ももれることなく摂取する浄土を壮厳するため、五却という計り知れない時をかけた思惟に入られます。
そして、その誓いを成就せんため、兆載永却(ちょうさいようごう)という長い修行をされて浄土が荘厳され、願いが成就して、法蔵菩薩は南無阿弥陀仏となられたと説かれています。
このような物語は信じられないかも知れませんが、これは物語を通して宗教的真実を表わしているのです。奥能登の農婦の方は、この宗教的真実を我身の上にいただかれました。
法蔵菩薩の物語は、私を離れてあるのではありません。今現に、南無阿弥陀仏は法蔵菩薩となって、私の煩悩のなかに働いて下さっているのです。
(老僧)
やっと冬らしく雪が積もりました!
待っていたような、待っていなかったような雪ですが、季節を感じられるのはうれしいですね。
降ったばかりの雪はふわふわで、真っ白なところを踏みしめて歩くのがとても気持ちよかったです。
楽しませていただきました。
境内では、一晩で、足の甲まで埋まりそうなほど積もっています。
みなさんのお宅はどうですか?
5日の夜です
6日の朝です
お昼ごろには青空になりました
ゆきがこんもり
なが~いつらら!
明け方、眩しい雷光と地鳴りのような雷鳴が鳴り響きました。
家が何度も揺れました(笑)
夜が明けて外を見ると、一面、真っ白!
今年は暖冬やねぇ、雪は振るんやろか、という声が聞えていたのでしょうか。一気に雪の季節が来たな~と思います。
その後は、降り続く雨でほとんど溶けましたが、その分、地面は浅い浅い池になっています(笑)
みなさんのところは、どうでしたか?
よく仏法聴聞される方が、「聞かせていただいている間は有難いのですが、お寺の門を出るとすっかり忘れてしまいます」と言われます。
これは私も常に経験することです。
よき先生の話を聞いても、寺へ帰ってくるとすっかり忘れてしまいます。
そのときは筆記したノートを見て確かめることにしています。浄土真宗の聴聞において一番欠けていることは、聞いたことを我身に引き当てて考えて見るということです。
『大経』には法蔵菩薩の物語が出ていますが、法蔵菩薩は一切の迷える衆生を仏とするため、その手立を見つけるまでに、五劫の間思惟されたとあります。私一人を助けるため五劫の間考え抜かれたのです。
思惟を内観ともいいます。内観とは、自分を深く見つめるということです。智慧の念仏といわれますが、如来さまの智慧が念仏なのです。
だから、念仏申せば自分が見えるのです。自分が見えるということは、自分の煩悩が見えるということです。
そして、念仏申せば内観深まり、内観深まればいよいよ念仏が申されるのです。
(老僧)