「大無量寿経」には弥陀の本願が説かれていますが、それは法蔵菩薩の物語として説かれています。
久遠の昔(いにしえ)、一人の国王がおられ、世自在王仏の説法を聞いて深い悦びを感じ、出家して法蔵と名告りました。
そして、世自在王仏のみもとで、迷いの衆生を一人残らず救い取りたいという大いなる願いをたてられます。
そして、生死流転していく迷いの衆生の有り方をどこどこまでも見届け、一人ももれることなく摂取する浄土を壮厳するため、五却という計り知れない時をかけた思惟に入られます。
そして、その誓いを成就せんため、兆載永却(ちょうさいようごう)という長い修行をされて浄土が荘厳され、願いが成就して、法蔵菩薩は南無阿弥陀仏となられたと説かれています。
このような物語は信じられないかも知れませんが、これは物語を通して宗教的真実を表わしているのです。奥能登の農婦の方は、この宗教的真実を我身の上にいただかれました。
法蔵菩薩の物語は、私を離れてあるのではありません。今現に、南無阿弥陀仏は法蔵菩薩となって、私の煩悩のなかに働いて下さっているのです。
(老僧)