御正忌報恩講

2022年11月29日


28日と29日の朝に、お飾りのおもち作りや、お寿司(おとき)などの準備をしていただきました。

今年も御正忌報恩講が勤まりました。
午前10時です。お日中が始まりました。

午前と午後に分けて、親鸞聖人の一代記『御伝鈔(ごでんしょう)』が読み上げられました。

今年は看護師さんと葬祭ディレクターの方をお迎えして、住職と対談を行いました。

午前の部では、『いのちの最期の現場で』と題して、それぞれの現場の現状ついて教えていただきました。

どちらの現場でも、「延命するかしないか」を家族が判断しなければならない時に相談を受けるという話題が挙がりました。急には重い。本人にとってはそれでいいのか。自分一人でが決めてしまったから、遠方にいる他の家族に言えない。生きているのにお葬式の準備をしていいのか。など、ご家族の葛藤を教えてくださいました。その上で、自分の死を受け止めるのも大事だけど、その家族がどう死を受け止めるかも大事だと話されていました。

また、それぞれの現場での事例も教えていただきました。

看護師さんからは、家族がお見舞いに来てくれていた方の話がありました。ひ孫までが見舞いに来るし、亡くなってもひ孫たちがご遺体を怖がることもなくずっとそばに寄り添っていた。その方は、生前から家族に尽くしていたそうです。子どもや孫と関わるのは難しい時もありますが、日頃からの付き合いを大事にした方が良いと話されていました。

葬祭ディレクターさんからは、肝臓がんで亡くなった方の奥さんの話がありました。肝臓がんだったので、ご主人の体には黄疸が出ていたそうです。なので「お化粧をしますか?」と聞いたところ、奥さんは「この黄疸は主人が頑張った証なので、お化粧はしないでください」と答えました。その瞬間、その場がご主人の闘病を激励する場になったと感じたそうです。

午前の対談を聞いて、堂内から話をして下さる方もいました。その方は旦那さんを突然ガンで亡くされました。当初はなかなか向き合うことができませんでしたが、亡くなってから毎日写真を見ながら話しているそうです。急な別れはなかなか受け入れがたいものですが、この方が家族の死を受け入れていく姿を聞かせていただきました。

お昼(おとき)は、お参りの皆さんと座敷でいただきました。

午後2時、お逮夜が始まりました。

対談の前に、お飾りのもちが入った温かいぜんざいをいただきました。

午後の部では、『平生業成(へいぜいごうじょう)を大切に』と題して、午前に引き続き本人にとって家族にとっての「死」について話を深めていきました。

看護師さんが「よく見舞いに来る家族は、看取りの際も和やかなんです」と言うと、葬祭ディレクターさんが「そうですね。お棺にお酒を入れるくらい賑やかなお葬式もあります」と大きく頷いていました。「孫の祭り」という言葉もあるそうです。

看護師さんは、遺影にしたい写真を何度も用意したりして、生前から死を意識しておくことが大切だと話されました。また、介護士が不足しているため、病床の数を減らさざるを得ない施設が増えてきており、施設への入所がだんだん難しくなってきている現状も教えていただきました。

葬祭ディレクターさんは、コロナで亡くなるととても大変だと話されていました。亡くなってから24時間以内に火葬しなければならず、蓋越しに顔だけ見る形になり、お骨も職員の方が拾うことになるそうです(コロナによる対応は市町村などによって異なる可能性があります)。葬儀社の職員も防護服を着なければならず、着るととっても暑いそうです。

また、葬祭ディレクターさんが心に響いた姉弟の事例を話してくださいました。弟が自死したそうです。いきなりのことでお姉さんは初めは茫然としていましたが、少し落ち着き、ボロボロと涙を流しながら「あなたが先に浄土に行ってるなら、何も怖くないわ」と言ったそうです。その言葉を聞いて、お浄土には先に行って待っていてくれている人がいる、そう感じたとおっしゃっていました。

対談の中で、家族の中でのコミュニケーションが大事だという話がありました。それを受けて会場にいた高齢の方からは「自分が死んだ時の話を、若い人に言いにくい」と意見が出、それを聞いた若い人から「死んだ時どうする?って、本人に聞きにくい」と意見が出ました。そこで葬祭ディレクターさんが、普段からコミュニケーションが難しい家族へ「エンディングノート(生前に自分について詳しく書き留めておくノート)」を紹介してくださいました。会話のきっかけにしたり、自分の気持ちを伝える手段にしていただければと話されていました。いただいた見本をお御堂に置いてありますので、ご興味のある方はぜひご覧ください。

今回の対談では、家族全員で「死」を意識する大切さが語られたと感じます。会場からは「若い人を集めて、またやってほしい」という声もいただきました。若い方々がお寺とかかわりを持つ機会が少ないという現状はありますが、幅広い年代の方が「自分の死」「家族の死」「大切な人の死」を受け止めていくために、お寺という場を生かしていけたらと思います。

最後に、総代の高橋文男さんにごあいさついただきました。

後片付けもしていただきました。
ありがとうございました。

足を運んでお参りくださった方々、対談の席に快く座っていただいた奥田さん、神田さん、また、気持ちを寄せて下さった方々、本当にありがとうございました。