2020年7月15日
私たちは、厳粛な身の事実を生きています。
生・老・病・死という事実です。身の事実を宿業といいます。
しかし、私たちは、生・老・病・死という身の事実を解釈して老・病・死を遠ざけ、不安と虚しさのなかを生きているのです。
親鸞聖人は、『歎異抄』のなかで「善悪ともに宿業」といっておられます。
私たちの善悪の行為も宿業です。
しかし、私たちは、悪を憎み、自分は善人だと思っています。
私が自分の一生を振り返ってみますと、人間として生まれたのも、私が寺の長男として生まれたのも、自分の計いではありません。
すべて宿業です。あと何年か生きて死んでいくのも宿業です。
自分の思い通りにはなりません。
弥陀のご本願は、妄念・妄想で迷っている私たちを、身の事実、宿業の身に呼び返して下さるおはたらきです。
宿業の身に如来さまがはたらいていて下さるのです。
私たちの知恵では、宿業の身に目覚めることはできません。
久遠却より如来さまのご本願は私の宿業を引き受けて歩んでいて下さるのです。(老僧)