2020年4月15日
私たちは、「命の尊さ」ということを口にします。
親が幼い子供を虐待したり、生徒がいじめに会って自殺すると、いのちの大切さが分からないのかと情けない気持がします。
しかし考えてみますと、いのちはなぜ尊いといえるのでしょうか。
いのちあっての人生だからとか、誰にも代わってもらえない一回限りのものだからといわれますが、何か説得力がありません。
何よりも、私たちは自分のいのちは尊いと思っているのでしょうか。それは、自分の都合のよい時だけです。
病気になったり、老いぼれてくると、死んだほうがましだと思ったりするのではないでしょうか。私たちのいのちは、自我に覆われています。
いのちが尊いといっても、都合によってころころ変わるのです。結局、人生はこんなもんだと変に納得して死んでいくのではないでしょうか。
仏法を聞く身になって、いのちよりも尊いものに出遇った時に、いのち尊しと手が合わさるのです。(老僧)