一声のお念仏はまことに尊いものでありますが、なかなか称えられるものではありません。
昔からお念仏のおいわれを聞くのが聴聞だといわれますが、この南無阿弥陀仏の六字のみ名に如来さまの大悲のおこころのすべて、そして私たちの救われる道理があらわされているのです。
その道理を「機法一体(きほういったい)」の道理といいます。
機とは、南無阿弥陀仏の法によって救われていく私たちのことです。
法とは、この私たちを必ず救おうという阿弥陀の法です。
阿弥陀仏は「機法一体」となって私たちを救おうとされるのです。
南無という機をおさえれば、罪悪深重という「助からない機」、法は「いかなる罪業のものも助けよう」という阿弥陀仏の法のはたらきです。
この南無阿弥陀仏の六字のみ名に永遠に救いのない機、その機を救おうという法がはたらいているのです。
私たちは南無阿弥陀仏という六字のみ名を仰いで、「南無の機」をつかまなければなりません。
そこに罪悪深重の助からない私としての南無の座を賜るのです。
そこに出て下さるのが、まことの念仏です。 (老僧)