報恩講 前準備

10月4、16、17日


報恩講をつとめるために、今年もたくさんの方に準備をしていただきました。
ご助力いただいたみなさん、本当にありがとうございました。

10月4日は、境内や周辺の草刈り、草むしりをしていただきました。
時々小雨の降る中、汗だくになりながら作業してくださいました。

16日は、仏具のおみがきと幕吊りなどの準備をしていただきました。
本来の金の輝きを放つ仏具は、とても美しいですね。

幕や提灯が吊られると、一気に報恩講の雰囲気になり、身が引き締まります。

17日は、境内の掃き掃除、お御堂や納骨堂などの掃除、もちつきをしていただきました。
いたる所にくもの巣があり、はらうだけでも大変でした。
境内は落ち葉がたくさん積もっていたのですが、
雨が降り出しても最後まで丁寧に掃いていただいて綺麗になりました。

お御堂や廊下などの掃除です。

もちつきです。
熱々のもちを取り分けて、丸めるコツを教えていただきました。

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掲示板(9月)

2020年9月27日


仏法において、無明煩悩とか無明業障(むみょうごっしょう)という言葉があります。

それらは、「私」という深い執着の殻の中から一歩も出られない迷いの有り方を表しているのです。

私たちは、自分を確かなものとして、自己を主張して生きてきました。

そこには仏教で説くように、他の存在との関わりの中で生まれ今まで生きてきながら、他の存在は私の身体の中を通りすぎる風景でしかないのです。

他人の悲しみや苦しみ、喜びは、私にとって一つの「話」であり、私のいのちの中に食い込んでこないのです。

寄り添う」という言葉がよく使われますが、他の人たちの悲しみや苦しみに寄り添うことほど難しいことはありません。

本当に寄り添うことは、仏さまにしかできないことではないでしょうか。

そこに凡夫としての悲しみがあるのです。

私たちは、癌になればお医者さんにかかります。

しかし、無明業障という恐ろしい病にかかっても、自覚することはできません。

そこに、弥陀の大悲がこの私にそそがれていることを知らせていただく以外にありません。(老僧)

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境内の花・めずらしい参拝者

2020年8月18日


青いアサガオが咲きました。
背の高い木に巻き付いているので、正面からなかなか見れませんが、
緑の中に色付く青はとてもきれいです。

それから、早朝にめずらしい参拝者が訪れました。
誰もいない広い境内を、のっしのっしと堂々とした足取りで横切っていきました。

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掲示板(8月)

2020年8月13日


新型コロナウイルスの再拡大が懸念されている。

2月のダイアモンドプリンセス号の乗客乗員の感染から始まって、7か月にわたって、日本中、世界中がコロナウイルスとの闘いを強いられ、終息の気配が見られない。

コロナウイルスが怖いのは、感染者の2割程度が重症化して死亡する可能性があるからである。

私たちは、日頃死を自覚することはほとんどないが、コロナウイルスによって死が身近に感じられ、恐怖心を覚えるのである。

コロナウイルスは確かに怖いが、これを人類の敵として闘うというのは、どうも大人気ない感じがしてならない。

「ウイルスも、みないのちある、地球族の一つである」

という先輩の言葉に感銘を受けるものである。

私たちは、もっと広いこころをもってコロナウイルスを受け入れ、終息してもコロナウイルスが地球上から無くなるわけではないので、今後とも長く付き合っていく覚悟をしなければならないのである。 (老僧)

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老僧の目線 08

2020年8月11日


久しぶりに、老僧の目線です!

まずは、シュウカイドウです。
小さなピンクの花と、大きな葉っぱが、池によく映えますね。
かわいらしいです。

次は、ウバユリです。
背の高い植物で、私の身長よりも高いものもあります。
とても良い香りがしますよ。

最後は、ひよこが生まれた報告です!
このひよこは、背中に3本の黒い縦じまがあります。
他にも、数羽、身体の色が違うひよこ達が生まれています。
猛暑が続いていますが、元気にすくすく育って欲しいですね。

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掲示板(7月)

2020年7月15日


私たちは、厳粛な身の事実を生きています。

生・老・病・死という事実です。身の事実を宿業といいます。

しかし、私たちは、生・老・病・死という身の事実を解釈して老・病・死を遠ざけ、不安と虚しさのなかを生きているのです。

親鸞聖人は、『歎異抄』のなかで「善悪ともに宿業」といっておられます。

私たちの善悪の行為も宿業です。

しかし、私たちは、悪を憎み、自分は善人だと思っています。

私が自分の一生を振り返ってみますと、人間として生まれたのも、私が寺の長男として生まれたのも、自分の計いではありません。

すべて宿業です。あと何年か生きて死んでいくのも宿業です。

自分の思い通りにはなりません。

弥陀のご本願は、妄念・妄想で迷っている私たちを、身の事実、宿業の身に呼び返して下さるおはたらきです。

宿業の身に如来さまがはたらいていて下さるのです。

私たちの知恵では、宿業の身に目覚めることはできません。

久遠却より如来さまのご本願は私の宿業を引き受けて歩んでいて下さるのです。(老僧)

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永代経 2日目(お日中・お逮夜)

2020年7月11日


11日(土)は、お初夜(19時~)を取り止めさせていただきました。

あじさいがとても華やかな季節ですね。
今年の永代経は、連日降ったりやんだりの雨で、ほどよく濡れるあじさいを楽しめました。

お日中(10時~12時)には、福井市内・西安居・殿下の方々がお参りくださいました。

殿下の循環バス(かじかぽっぽ)も到着しました。

昨日に引き続き、布教は熊谷二郎師です。

お逮夜(14時~16時)には、坪谷・殿下の方々がお参りくださいました。

午前・午後と、末定さん(筆頭総代)にご挨拶いただきました。

住職も、その都度挨拶をしました。

バスを見送った後、後片づけをしてくださいました。

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永代経 1日目(お逮夜・お初夜)

2020年7月10日


今年は、感染対策のため例年と異なる形式をとりましたが、皆さまのご協力により、永代経が無事つとまりました。

参拝いただいた皆さまには、マスクの着用や間隔を開けて座っていただくなど、ご協力いただきました。

また、感染リスクを減らすために、戸を開放したり、各出入口に消毒液を置いたり、トイレにペーパータオルを設置したりといった対策をとらせていただきました。

午前中に、ざーっと雨が降る中、提灯と幕をかざり付けていただきました。

台所では、おかざりのもち作りと炊き込みご飯の準備をしていただきました。
今年は、おとき(昼食)を取り止めとさせていただきました。代わりに、参拝された皆さまには、パックに詰めた炊き込みご飯をお持ち帰りいただきました。

今年の永代経は、感染リスクを減らすために、団体参拝を分散させていただきました。
お逮夜(14時~16時))には、国見の方々、殿下の方々がお参りくださいました。

お逮夜(14時~16時)が始まりました。

布教は、福井の熊谷二郎師です。
10日のお逮夜・お初夜、11日のお日中・お逮夜、それぞれ2席ずつお話しくださいました。
熊谷師には、フェイスマスクを着けて、布教をしていただきました。

お初夜(19時~21時)です。
武周の方々がお参りくださいました。

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