2020年11月21日,22日
21日は、有志の方々にお御堂と鐘つき堂のテントを張っていただきました。
20年近く活躍してくれた滑車がサビ付いていたり、ワイヤーが切れていたりと、アクシデントの連続で大変な作業になってしまいました。
22日は、武周の方々に集まっていただき、雪割りや座敷部分の雪囲いをしていただきました。
みなさん、ありがとうございました。
21日は、有志の方々にお御堂と鐘つき堂のテントを張っていただきました。
20年近く活躍してくれた滑車がサビ付いていたり、ワイヤーが切れていたりと、アクシデントの連続で大変な作業になってしまいました。
22日は、武周の方々に集まっていただき、雪割りや座敷部分の雪囲いをしていただきました。
みなさん、ありがとうございました。
勿体なや 祖師は紙衣の九十年 (句仏上人)
これは俳人として有名な西本願寺の句仏(くぶつ)上人といわれた方のうたです。
報恩講に当たりしみじみと親鸞聖人のご苦労が偲ばれます。
紙衣とは紙子ともいい、和紙に柿渋を塗り揉み柔らげて衣にしたものです。
足には草鞋(わらじ)を履き、紙衣の衣で90年を過ごされたのです。
親鸞聖人が35歳の時に、奈良や比叡山の聖道門仏教の上訴により法然上人の吉水の教団が取りつぶされ、法然上人は土佐に、親鸞聖人は越後に流罪となりました。
罪が許されて後42歳から63歳まで常陸(ひたち)の国(茨城県)を中心に20年間、紙衣の衣に草鞋履きでお念仏の教えを説いてくださったのです。
親鸞聖人には「石を枕に雪をしとねに」ということばがあります。
雪の降りしきる夜、日野左エ門という金貸に一夜の宿を請いますが断られ、屋根の下に石を枕に雪を布団にして一夜を過ごされたといわれます。
枕石寺としてご旧跡が残っています。 (老僧)
午前7時。おあさじです。
午前8時。
今日も持って帰っていただくお寿司を作って下さいました。
午前9時半。国見のバスが到着しました。
午前10時。満日中が始まりました。
今日も「御伝鈔(ごでんしょう)」を読み上げます。
日下賢城師のご法話です。
今年は、筆頭総代に代わり、髙橋文男さんにご挨拶いただきました。
さいごまで、ありがとうございました。
今年も報恩講が無事つとまりました。
7月の永代経に引き続き、バスの団体参拝の分散、マスク着用、アルコール消毒など、感染予防にご協力いただきました。
また、17日のお勤めと、18日のコーラス、焼きまんじゅうを取り止めさせていただきました。このような変更にも対応していただき、ありがとうございました。
報恩講の日中。
団体参拝を分散しましたが、多くの方々をお迎えするため、早朝から台所に立っていただきました。
午前9時半ごろ、福井・西安居からのバスが到着しました。
午前10時。お日中が始まりました。
個人で参拝された方もたくさんいらっしゃいます。
今年は、毎回、親鸞聖人の一代記「御伝鈔(ごでんしょう)」を読み上げます。
今年の法話をしてくださるのは、石川県加賀市から来ていただいた日下賢城師です。
おとき(昼食)の代わりに持って帰っていただくお寿司が完成しました。
できたての良い香りがします!
午後1時半ごろ。坪谷のバスが到着しました。
納骨堂にもお参りされました。
午後2時。お逮夜が始まりました。
夜7時。お初夜です。
夜遅くまで、ありがとうございました。
報恩講をつとめるために、今年もたくさんの方に準備をしていただきました。
ご助力いただいたみなさん、本当にありがとうございました。
10月4日は、境内や周辺の草刈り、草むしりをしていただきました。
時々小雨の降る中、汗だくになりながら作業してくださいました。
16日は、仏具のおみがきと幕吊りなどの準備をしていただきました。
本来の金の輝きを放つ仏具は、とても美しいですね。
幕や提灯が吊られると、一気に報恩講の雰囲気になり、身が引き締まります。
17日は、境内の掃き掃除、お御堂や納骨堂などの掃除、もちつきをしていただきました。
いたる所にくもの巣があり、はらうだけでも大変でした。
境内は落ち葉がたくさん積もっていたのですが、
雨が降り出しても最後まで丁寧に掃いていただいて綺麗になりました。
お御堂や廊下などの掃除です。
もちつきです。
熱々のもちを取り分けて、丸めるコツを教えていただきました。
老僧の目線です!
この時期の花と言えば、ヒガンバナ!
あちこちに自由に咲いています。
寒さと共に咲き始めるこの花を見ると、秋が来たな~と思いますね。
少し前には、白っぽい薄ピンクっぽい色のヒガンバナも咲いていましたよ。
仏法において、無明煩悩とか無明業障(むみょうごっしょう)という言葉があります。
それらは、「私」という深い執着の殻の中から一歩も出られない迷いの有り方を表しているのです。
私たちは、自分を確かなものとして、自己を主張して生きてきました。
そこには仏教で説くように、他の存在との関わりの中で生まれ今まで生きてきながら、他の存在は私の身体の中を通りすぎる風景でしかないのです。
他人の悲しみや苦しみ、喜びは、私にとって一つの「話」であり、私のいのちの中に食い込んでこないのです。
「寄り添う」という言葉がよく使われますが、他の人たちの悲しみや苦しみに寄り添うことほど難しいことはありません。
本当に寄り添うことは、仏さまにしかできないことではないでしょうか。
そこに凡夫としての悲しみがあるのです。
私たちは、癌になればお医者さんにかかります。
しかし、無明業障という恐ろしい病にかかっても、自覚することはできません。
そこに、弥陀の大悲がこの私にそそがれていることを知らせていただく以外にありません。(老僧)
西雲寺に寄贈され、部屋や廊下などに飾らせていただいている絵を紹介します。
清水正男さん画 一陽会会員(福井市)
八木哲雄さん画(本堂町)
岡島雪雄さん画(福井市)
池田喜延さん画(福井市)
土肥吉光さん画(武周町)
青いアサガオが咲きました。
背の高い木に巻き付いているので、正面からなかなか見れませんが、
緑の中に色付く青はとてもきれいです。
それから、早朝にめずらしい参拝者が訪れました。
誰もいない広い境内を、のっしのっしと堂々とした足取りで横切っていきました。
新型コロナウイルスの再拡大が懸念されている。
2月のダイアモンドプリンセス号の乗客乗員の感染から始まって、7か月にわたって、日本中、世界中がコロナウイルスとの闘いを強いられ、終息の気配が見られない。
コロナウイルスが怖いのは、感染者の2割程度が重症化して死亡する可能性があるからである。
私たちは、日頃死を自覚することはほとんどないが、コロナウイルスによって死が身近に感じられ、恐怖心を覚えるのである。
コロナウイルスは確かに怖いが、これを人類の敵として闘うというのは、どうも大人気ない感じがしてならない。
「ウイルスも、みないのちある、地球族の一つである」
という先輩の言葉に感銘を受けるものである。
私たちは、もっと広いこころをもってコロナウイルスを受け入れ、終息してもコロナウイルスが地球上から無くなるわけではないので、今後とも長く付き合っていく覚悟をしなければならないのである。 (老僧)