掲示板(1月18日)


「あえぐように生きているというほかない」

これは、大谷派の学僧・安田理深先生の晩年のお言葉です。
お弟子が「いかがお暮しですか」とお尋ねしたところ、「あえぐように生きているというほかない」というお返事だったそうです。


安田先生は在家のお生まれで、一生僧籍も持たず定職にもつかず、哲学、仏教そして真宗の教えを究め、一生請われるまま全国に仏法を説いて一生を終えられた方です。


私はこのお言葉に深いものを感ずるのです。「あえぐように生きている」というお言葉は、単に老齢になったからというのではないと思われます。私たちも、あえぎながら生きているのではないでしょうか。家族のこと、仕事のこと、お金のこと、病気のこと、老いのことなど、あえぎながら生きているのです。昨年からコロナウイルスが私たちの生活に暗い陰をおとしています。


安田理深先生のこのお言葉に、私は「あえぎながらお念仏に背中を押されて生きているのだ。そして、あえぐように私は仏法を求めているのだ」とおっしゃっているように思われるのです。(老僧)

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掲示板(12月)

2020年12月21日


 残り少なくなった人生をふと立ち止まって、自分はどのような人生を歩んできたのだろうと考えることがあります。

過去に思いを致すと、あまり良いことは浮かんできません。

やはり、ああすれば良かった、こうすれば良かったという愚痴と悔恨の念に嘖(さいな)まされることが度々あります。

なかなか良い人生を歩んだと思われないのです。

『歎異抄』には、宿業という言葉が出てきます。

何か重く暗い感じがします。

宿業の「宿」は過去という意味で、宿業とは私が嚝劫流転(こうごうるてん)してきた過去において造ってきた業なのです。

この業が今の私の人生となっているのです。

ある師の言葉に「宿業というのは、自分が自分になったという責任感なのです」とあります。

確かに私の人生は誰が作ったのでもなく、私が作った人生なのです。

親鸞聖人の言葉に「たまたま行信を獲()ば遠く宿縁を慶べ」とあります。

行信とは、本願に目覚めた信心です。

私たちは法蔵因位(ほうぞういんに)の願心と生死流転(しょうじるてん)の衆生の宿業を引き受けて歩んでいて下さる。

兆載永劫(ちょうさいようごう)の修行をいただけば、私の暗い宿業が仏法に出遇うための尊いご縁であったといただくことができるのです。

私の人生が明るみの中に転ぜられてかたじけないと頂けるのです。(老僧)

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御正忌報恩講

2020年11月29日


御正忌報恩講がつとまりました。

例年ですと3日間勤めていましたが、今年は1日に縮小しました。

また法要の様子を生中継(ライブ配信)するはずでしたが
機材の調整が間に合わず、うまく出来ませんでした。

接続を試みてくださった方々、ごめんなさい。

午後からは何とかカメラ1台で生中継しましたが、午前のQRコードでの配信となりました。申し訳ございませんでした。
また再挑戦してみたいと思いますので、次回はよろしくお願いいたします。

28日と29日の朝に、台所でお寿司やお飾りのおもちなどの準備をしていただきました。

午前10時、お日中が始まりました。
御伝鈔の読み上げも、法話も、今年は住職が勤めました。

お昼は、お持ち帰りもできるように、パック詰めのおときを用意しました。

午後2時、大逮夜が始まりました。
引き続いてお参り下さり、ありがとうございました。

法話の前に、おかざりの餅が入った温かいぜんざいをいただきました。

住職の法話です。

総代の髙橋文男さんに、ごあいさついただきました。

足を運んでお参り下さった方々、リモートでお参りを試みて下さった方々、気持ちを寄せて下さった方々、本当にありがとうございました。

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雪囲い

2020年11月21日,22日


21日は、有志の方々にお御堂と鐘つき堂のテントを張っていただきました。

20年近く活躍してくれた滑車がサビ付いていたり、ワイヤーが切れていたりと、アクシデントの連続で大変な作業になってしまいました。

22日は、武周の方々に集まっていただき、雪割りや座敷部分の雪囲いをしていただきました。
みなさん、ありがとうございました。

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掲示板(10月)

2020年10月26日


勿体なや 祖師は紙衣の九十年 (句仏上人)

 これは俳人として有名な西本願寺の句仏(くぶつ)上人といわれた方のうたです。

報恩講に当たりしみじみと親鸞聖人のご苦労が偲ばれます。

紙衣とは紙子ともいい、和紙に柿渋を塗り揉み柔らげて衣にしたものです。

足には草鞋(わらじ)を履き、紙衣の衣で90年を過ごされたのです。

親鸞聖人が35歳の時に、奈良や比叡山の聖道門仏教の上訴により法然上人の吉水の教団が取りつぶされ、法然上人は土佐に、親鸞聖人は越後に流罪となりました。

罪が許されて後42歳から63歳まで常陸(ひたち)の国(茨城県)を中心に20年間、紙衣の衣に草鞋履きでお念仏の教えを説いてくださったのです。

親鸞聖人には「石を枕に雪をしとねに」ということばがあります。

雪の降りしきる夜、日野左エ門という金貸に一夜の宿を請いますが断られ、屋根の下に石を枕に雪を布団にして一夜を過ごされたといわれます。

枕石寺としてご旧跡が残っています。 (老僧)

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報恩講 19日

2020年10月19日


午前7時。おあさじです。

午前8時。
今日も持って帰っていただくお寿司を作って下さいました。

午前9時半。国見のバスが到着しました。

午前10時。満日中が始まりました。

今日も「御伝鈔(ごでんしょう)」を読み上げます。

日下賢城師のご法話です。

今年は、筆頭総代に代わり、髙橋文男さんにご挨拶いただきました。

さいごまで、ありがとうございました。

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報恩講 18日

2020年10月18日


今年も報恩講が無事つとまりました。

7月の永代経に引き続き、バスの団体参拝の分散、マスク着用、アルコール消毒など、感染予防にご協力いただきました。

また、17日のお勤めと、18日のコーラス、焼きまんじゅうを取り止めさせていただきました。このような変更にも対応していただき、ありがとうございました。

報恩講の日中。
団体参拝を分散しましたが、多くの方々をお迎えするため、早朝から台所に立っていただきました。

午前9時半ごろ、福井・西安居からのバスが到着しました。

午前10時。お日中が始まりました。
個人で参拝された方もたくさんいらっしゃいます。

今年は、毎回、親鸞聖人の一代記「御伝鈔(ごでんしょう)」を読み上げます。

今年の法話をしてくださるのは、石川県加賀市から来ていただいた日下賢城師です。

おとき(昼食)の代わりに持って帰っていただくお寿司が完成しました。
できたての良い香りがします!

午後1時半ごろ。坪谷のバスが到着しました。
納骨堂にもお参りされました。

午後2時。お逮夜が始まりました。

夜7時。お初夜です。

夜遅くまで、ありがとうございました。

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報恩講 前準備

10月4、16、17日


報恩講をつとめるために、今年もたくさんの方に準備をしていただきました。
ご助力いただいたみなさん、本当にありがとうございました。

10月4日は、境内や周辺の草刈り、草むしりをしていただきました。
時々小雨の降る中、汗だくになりながら作業してくださいました。

16日は、仏具のおみがきと幕吊りなどの準備をしていただきました。
本来の金の輝きを放つ仏具は、とても美しいですね。

幕や提灯が吊られると、一気に報恩講の雰囲気になり、身が引き締まります。

17日は、境内の掃き掃除、お御堂や納骨堂などの掃除、もちつきをしていただきました。
いたる所にくもの巣があり、はらうだけでも大変でした。
境内は落ち葉がたくさん積もっていたのですが、
雨が降り出しても最後まで丁寧に掃いていただいて綺麗になりました。

お御堂や廊下などの掃除です。

もちつきです。
熱々のもちを取り分けて、丸めるコツを教えていただきました。

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掲示板(9月)

2020年9月27日


仏法において、無明煩悩とか無明業障(むみょうごっしょう)という言葉があります。

それらは、「私」という深い執着の殻の中から一歩も出られない迷いの有り方を表しているのです。

私たちは、自分を確かなものとして、自己を主張して生きてきました。

そこには仏教で説くように、他の存在との関わりの中で生まれ今まで生きてきながら、他の存在は私の身体の中を通りすぎる風景でしかないのです。

他人の悲しみや苦しみ、喜びは、私にとって一つの「話」であり、私のいのちの中に食い込んでこないのです。

寄り添う」という言葉がよく使われますが、他の人たちの悲しみや苦しみに寄り添うことほど難しいことはありません。

本当に寄り添うことは、仏さまにしかできないことではないでしょうか。

そこに凡夫としての悲しみがあるのです。

私たちは、癌になればお医者さんにかかります。

しかし、無明業障という恐ろしい病にかかっても、自覚することはできません。

そこに、弥陀の大悲がこの私にそそがれていることを知らせていただく以外にありません。(老僧)

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