2020年 3月7日
ホストファミリーの方々や受入委員会の皆さんにお参りいただき、
今年も追悼法要をおつとめしました。
大震災から、まる9年。
今年は10年目という節目を迎えます。
新型コロナという激震が世界中を駆け巡っていますが
どんなことが起ころうとも、
これまでの軌跡を全身に感じて、
明日の未来を全身に感じて、
今日という日を全身に感じて、生きていきたいなと思います。
ホストファミリーの方々や受入委員会の皆さんにお参りいただき、
今年も追悼法要をおつとめしました。
大震災から、まる9年。
今年は10年目という節目を迎えます。
新型コロナという激震が世界中を駆け巡っていますが
どんなことが起ころうとも、
これまでの軌跡を全身に感じて、
明日の未来を全身に感じて、
今日という日を全身に感じて、生きていきたいなと思います。
村の方々と、西雲寺本堂にて七回忌をおつとめしました。
高橋諭さんのお調子に続いて、みんなで正信偈六首引を唱和し、
そのあと囲炉裏にて懇親を深めました。
地区外のボランティアの方もお参りくださいましたし、
学校の校長先生もお参りくださいました。
今日、お見えでない方々からもたくさんのご協力をいただいています。
本当に感謝しかありません。
まる6年がたち、7年目に入りましたが
いつもと変わらず、みんなと力を合わせて
福島の方々と心をつなげていきたいと思います。
4人の仲間とともに、熊本各地を訪れました。
地震からまもなく一年、家屋の被害判定の混乱も収束したようで、ようやく解体され、一面に更地が広がる状況でした。
1年前を振り返る現地の方々の記憶は驚くほどよく似ていて、口をそろえておっしゃっていました。
「この世の終わりかと思った」
「洗濯機の中にいるみたいだった」
「1度目で避難したから命拾いした」(2度目の本震で家屋がつぶれた)
「本震が日中だったら死者は数万人規模だっただろう」(ショッピングセンターなど大規模施設が崩壊した)
通常の生活に戻りつつある今、昨日のことのように思い出してくださって本当に有難かったです。
益城町で被災した店舗が力を合わせて仮営業をしています。なんと4月14日に開店予定だった店舗でカレーライスをいただきました。
ブルーシートも一年はもたないようです。雨漏りがひどい状態だろうと思われます。
上の写真の家とは違いますが、実際に雨漏りがひどく取り壊しが決まった家に入れていただきました。
益城町では取り壊しがすすみ更地が広がっていましたが、費用や業者さん不足などで再建はまだ先のようでした
このように当時のままの家屋もまだまだあります
広大な熊本城のうち国の重要文化財になっている箇所については正確に元の状態に戻さないといけないようです
大西熊本市長さんから昨夏のお礼を言っていただきました。自治体同士が姉妹都市なのですが…政治はもどかしいですね…
遠く阿蘇までご案内いただき、阿蘇神社の宮司さんから当時の話を伺いました。なんと永平寺の宮大工さんが修復にあたっていました。
阿蘇山地の山崩れ現場。家屋のすぐそこまで土石流が流れてきていました。
長崎の島原半島から熊本へ向かうには、有明海をフェリーで渡るのが近道です。
けれど、地震の影響で、熊本港から市街地へ向かう交通の便が整わず、
仲間たちの誘いもあって、鉄道で有明海を一周しながら向かうことにしました。
益城町の友人は、ちょうど1年前、福井に来てくれています。
そして4月13日にも、1ヶ月後に再会する約束のメールを交わしたところでした。
翌日14日、こんな大変化が待っているとは思いもせず…
本震と言われた16日の震源地は、その友人のお寺から1kmほどしか離れていません。
どんなに揺れたことでしょう…
まずは、友人を訪ねるのが第一の目的でした。
友人のお寺では、門徒さんが亡くなっておられました。
ただ、お寺の建物は、新築したばかりで無事だったようです。
私が訪れた時は、地震から2ヶ月ほど経過しており、道路はほぼ復旧していました。
友人も、日本の道路工事の技術とスピードを目の当たりにして、感服したといいます。
しかしながら、案内してもらった益城の家並みは、震災当時のままでした。
友人は、普段お参りに歩くような裏道を通りながら、つぶさに案内してくれました。
ここで大切な人がなくなっておられるのでした。
今回の熊本訪問の、もう一つの目的は、地震で不自由な思いをしている子供たちを福井へ招待することでした。
そのため役場にも向かいましたが、大勢の人でごった返していました。
ちょうど、り災証明書の発行が始まり、生活債券支援金申請をする方々や
り災の危険度判定(全壊か大規模半壊か一部損壊かという判定)に納得いかない方々が、次々と詰めかけ、
電話回線も話し中の状態が続いていました。
役場の方々も大変な様子でした。
役場の建物は危険で使えないのですが、それでも薄暗い照明の中を、職員さんが頻繁に出入りしていました。
外では、あちらこちらで応急仮設の建設が始まっていました。
この後、友人の案内で熊本市役所や東区役所も訪れましたが、益城町と同じようなあわただしさ…
これから7月~8月にかけて、仮設住宅の募集、抽選、移住が始まる、そういった目まぐるしいタイミングでした。
友人が話してくれた中で、一番印象に残ったのは、
「地震からしばらくは、みんなが助け合って、人がとってもあったかかった…
でも、そんな期間は短かった…」というつぶやきでした。
しばらくすると、人と比べるということが起こるんだそうです。
うちは応急危険度が低すぎるとか、うちは両親を引き取らざるを得ないとか、
うちは仕事を失ったとか、うちは田んぼが割れたとか、
同じ被災者同士で、ねたみ合い、いがみ合いが起こってしまう…
それは福島でも同様でした…
本当に悲しいこと…
そんな悲しい状況の中で、いったい何ができるでしょうか…
ただ、自分の非力さ、欲深さを逃げずに受け止め、
先人の愛と、教えに、誠実に、ならうこと、
ゼロでもともと、
ゼロに与えられた無限、
戦争や、天災や、病気や、事故で、先だって悲しみ、先だって生き抜いてくださった先人たち…
その方々を改めて想いました。