雪囲い外し

2017年 3月19日


武周の方々が雪囲いを外してくださいました。
僕は手伝えませんでしたが、雨にもあわずケガもなかったみたいでよかったです。

この三角の雪割りは、20年以上同じ箇所に釘を打ちこんだりして、ずいぶん傷んでいますので、秋までには新調される予定です。

みなさん、ありがとうございました。

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世話方集会

2017年 3月12日


各町内の代表者にお集まりいただき、年に一度の世話方集会が開かれました。

まず、玄関の戸が古くなっている(50年ほど経過している)ので、改修工事の見積もりが検討されました。


庫裏の玄関は、日ごろ最も出入りするところです。
そうしますと、玄関の隣にあるトイレが話題となり、
数年来、女性の間から男女共同で使いにくいという声が上がっているので、合わせて検討したらどうかということになりました。

京都の本山でも、入り口が一つだったトイレが、2年ほど前に男女別に改修されています。

また、65年ほど葺き替えられないままの屋根が下地から傷んできていることも議題にあげられました。
冬季に組み立てられる三角の形をした雪割りの老朽化(25年ほど経過)も検討されました。

過疎の進む中、お寺を維持していくのは大変ですが、
みなさんと心を一つにして、先人の思いを受け継いでいきたいと思います。

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東日本大震災 七回忌

2017年 3月11日


村の方々と、西雲寺本堂にて七回忌をおつとめしました。
高橋諭さんのお調子に続いて、みんなで正信偈六首引を唱和し、
そのあと囲炉裏にて懇親を深めました。


地区外のボランティアの方もお参りくださいましたし、
学校の校長先生もお参りくださいました。


今日、お見えでない方々からもたくさんのご協力をいただいています。
本当に感謝しかありません。


まる6年がたち、7年目に入りましたが
いつもと変わらず、みんなと力を合わせて
福島の方々と心をつなげていきたいと思います。

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しだれ桜実況中継

2017年3月8日


冬も終わり、今年もサクラの季節が近づいてきましたね。
といっても、今日は春の淡雪が積もりました。
僕は冬が好きなので、名残惜しく感じます。

各社から開花予想が発表されています。
福井市街地の開花予想日は
ウェザーニューズ…3月31日
気象庁…4月3日
ウェザーマップ…4月6日

えー、予想に1週間も開きがあるんですね。
そういえば去年も、どの予想より早く咲いちゃいましたし、難しいもんですね…

今日撮影したつぼみの様子です。
昨年、西雲寺は3月30日に開花しましたが、今年は1週間ほど遅くなりそう…
4月9日(日)に「殿下の里 西雲寺さくらまつり」が開かれる頃、ちょうど満開かもしれませんね。

ジンチョウゲはこんな感じ

熊本県を訪れました

2017年 2月26日、27日


4人の仲間とともに、熊本各地を訪れました。


地震からまもなく一年、家屋の被害判定の混乱も収束したようで、ようやく解体され、一面に更地が広がる状況でした。


1年前を振り返る現地の方々の記憶は驚くほどよく似ていて、口をそろえておっしゃっていました。


「この世の終わりかと思った」
「洗濯機の中にいるみたいだった」
「1度目で避難したから命拾いした」(2度目の本震で家屋がつぶれた)
「本震が日中だったら死者は数万人規模だっただろう」(ショッピングセンターなど大規模施設が崩壊した)

通常の生活に戻りつつある今、昨日のことのように思い出してくださって本当に有難かったです。

益城町で被災した店舗が力を合わせて仮営業をしています。なんと4月14日に開店予定だった店舗でカレーライスをいただきました。

ブルーシートも一年はもたないようです。雨漏りがひどい状態だろうと思われます。

上の写真の家とは違いますが、実際に雨漏りがひどく取り壊しが決まった家に入れていただきました。

益城町では取り壊しがすすみ更地が広がっていましたが、費用や業者さん不足などで再建はまだ先のようでした

このように当時のままの家屋もまだまだあります

広大な熊本城のうち国の重要文化財になっている箇所については正確に元の状態に戻さないといけないようです

大西熊本市長さんから昨夏のお礼を言っていただきました。自治体同士が姉妹都市なのですが…政治はもどかしいですね…

遠く阿蘇までご案内いただき、阿蘇神社の宮司さんから当時の話を伺いました。なんと永平寺の宮大工さんが修復にあたっていました。

阿蘇山地の山崩れ現場。家屋のすぐそこまで土石流が流れてきていました。

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美和子が聞くお講さま 1月

2017年1月28日


当番 あぢちさん

1月20日の夜11時頃、西雲寺のある殿下地区は、
地区で生まれ育ったお年寄りでも「今までにない」というほどの大風が吹き、
久しぶりに停電になりました。

あたりは正真正銘の真っ暗闇で、ちょうどお風呂に入っていた住職は、
追い炊きも出来ず、どんどんぬるくなる湯船の中で震えながら、
何げない日常の暮らしのありがたさを感じたそうです。

停電は2時間半ほどで復旧し、いつも通りの朝を迎えることができたのですが、
この夜の体験は、日常を当たり前のように暮らしていた私たちに、
その大切さを思い知らせる良い機会になりました。

本当に大切なことに気づいて、ありがたい!! と思う経験は、意外と誰でもしていますが、
私たちは、すぐに忘れて、分からなくなってしまいますよねと話は続きました。

親鸞聖人のお言葉の中にも、似たようなことが書かれているそうです。

雲霧之下明無闇
(いつも私のすっきりした心の上に雲がおおってくる。
雲がお日様を隠しているのと似ている。
でも、お日様が見えない曇り空でも、
一度お日様の存在を知ったら、
雲の下の明るさが、お日様の光だってことを知っている)

私たちは頭が下がる経験をして、
そのありがたさの存在を知ったのだから、
すぐ忘れて分からなくなってしまっても、
それまで(ありがたさを知る前)とは違うんだと話はつづきました。

なるほどなぁと思いました。

被災地を訪れました 熊本編

2016年 6月26日、27日


長崎の島原半島から熊本へ向かうには、有明海をフェリーで渡るのが近道です。
けれど、地震の影響で、熊本港から市街地へ向かう交通の便が整わず、
仲間たちの誘いもあって、鉄道で有明海を一周しながら向かうことにしました。

益城町の友人は、ちょうど1年前、福井に来てくれています。
そして4月13日にも、1ヶ月後に再会する約束のメールを交わしたところでした。
翌日14日、こんな大変化が待っているとは思いもせず…
本震と言われた16日の震源地は、その友人のお寺から1kmほどしか離れていません。
どんなに揺れたことでしょう…
まずは、友人を訪ねるのが第一の目的でした。

友人のお寺では、門徒さんが亡くなっておられました。
ただ、お寺の建物は、新築したばかりで無事だったようです。

私が訪れた時は、地震から2ヶ月ほど経過しており、道路はほぼ復旧していました。
友人も、日本の道路工事の技術とスピードを目の当たりにして、感服したといいます。
しかしながら、案内してもらった益城の家並みは、震災当時のままでした。

友人は、普段お参りに歩くような裏道を通りながら、つぶさに案内してくれました。
ここで大切な人がなくなっておられるのでした。

今回の熊本訪問の、もう一つの目的は、地震で不自由な思いをしている子供たちを福井へ招待することでした。
そのため役場にも向かいましたが、大勢の人でごった返していました。
ちょうど、り災証明書の発行が始まり、生活債券支援金申請をする方々や
り災の危険度判定(全壊か大規模半壊か一部損壊かという判定)に納得いかない方々が、次々と詰めかけ、
電話回線も話し中の状態が続いていました。

役場の方々も大変な様子でした。
役場の建物は危険で使えないのですが、それでも薄暗い照明の中を、職員さんが頻繁に出入りしていました。

外では、あちらこちらで応急仮設の建設が始まっていました。

この後、友人の案内で熊本市役所や東区役所も訪れましたが、益城町と同じようなあわただしさ…
これから7月~8月にかけて、仮設住宅の募集、抽選、移住が始まる、そういった目まぐるしいタイミングでした。

友人が話してくれた中で、一番印象に残ったのは、
「地震からしばらくは、みんなが助け合って、人がとってもあったかかった…
 でも、そんな期間は短かった…」というつぶやきでした。
しばらくすると、人と比べるということが起こるんだそうです。
うちは応急危険度が低すぎるとか、うちは両親を引き取らざるを得ないとか、
うちは仕事を失ったとか、うちは田んぼが割れたとか、
同じ被災者同士で、ねたみ合い、いがみ合いが起こってしまう…

それは福島でも同様でした…
本当に悲しいこと…

そんな悲しい状況の中で、いったい何ができるでしょうか…
ただ、自分の非力さ、欲深さを逃げずに受け止め、
先人の愛と、教えに、誠実に、ならうこと、
ゼロでもともと、
ゼロに与えられた無限、
戦争や、天災や、病気や、事故で、先だって悲しみ、先だって生き抜いてくださった先人たち…
その方々を改めて想いました。