2017年1月28日
当番 あぢちさん
1月20日の夜11時頃、西雲寺のある殿下地区は、
地区で生まれ育ったお年寄りでも「今までにない」というほどの大風が吹き、
久しぶりに停電になりました。
あたりは正真正銘の真っ暗闇で、ちょうどお風呂に入っていた住職は、
追い炊きも出来ず、どんどんぬるくなる湯船の中で震えながら、
何げない日常の暮らしのありがたさを感じたそうです。
停電は2時間半ほどで復旧し、いつも通りの朝を迎えることができたのですが、
この夜の体験は、日常を当たり前のように暮らしていた私たちに、
その大切さを思い知らせる良い機会になりました。
本当に大切なことに気づいて、ありがたい!! と思う経験は、意外と誰でもしていますが、
私たちは、すぐに忘れて、分からなくなってしまいますよねと話は続きました。
親鸞聖人のお言葉の中にも、似たようなことが書かれているそうです。
雲霧之下明無闇
(いつも私のすっきりした心の上に雲がおおってくる。
雲がお日様を隠しているのと似ている。
でも、お日様が見えない曇り空でも、
一度お日様の存在を知ったら、
雲の下の明るさが、お日様の光だってことを知っている)
私たちは頭が下がる経験をして、
そのありがたさの存在を知ったのだから、
すぐ忘れて分からなくなってしまっても、
それまで(ありがたさを知る前)とは違うんだと話はつづきました。
なるほどなぁと思いました。